カテゴリー: 数の歴史

数にまつわるお話を歴史を交えながら掲載します。

  • 古代の人の直角の作り方

    古代の人の直角の作り方

    今から約4000年前の紀元前2000年頃のエジプトには縄張り師(地面師やヤクザではない)という人達がいて、農地や建物を建てる時に測量などを行っていたそうです。その時に必要となるのが正しい直角を作り出すことです。今回はその方法の説明です。

    又、紀元前1800年頃のメソポタミア地方でも同じような考え方で直角を作りだしていたそうです。
    彼等が行っていた直角を作り出す方法は以下のとおりです。

    長い真っ直ぐなロープに端から端まで等間隔に結び目を13個作ります。
    そのロープの結び目を頼りに、長さ3、4、5の所で折り曲げて三角形を作ります。
    すると長さ3と4の辺の間の角度が直角になるという訳です。 
    3+4=52 (三平方の定理)

    この三平方の定理の証明は約1500年後の古代ギリシャのピタゴラス(紀元前582年―紀元前496年)によりなされました、故にピタゴラスの定理とも言われていますね。

  • 日本の弥生時代にギリシャ人は地球の大きさを知っていた

    地球の大きさは現在では周囲約4万km(正確には赤道方向40,077km、南極北極方向40,009km)と分かっています。では最初に地球の大きさを調べたのはいつ頃の誰がどのように調べたのでしょうか。

    最初に地球の大きさを調べたのはなんと、紀元前240年頃のギリシャ人、エラトステネスという学者でした。彼は当時エジプトに住んでおり、アルキメデスの友人でした。彼はあちこちに旅もしていました。

    エラトステネスはエジプトのナイル川のかなり上流のアスワン(当時はシエネと呼ばれていました)では真夏の昼になるとアスワンにある井戸の底に太陽が写ることを知りました。それは太陽が井戸の真上にあるからです。現代で言うと、アスワンは北回帰線の近くにあり、夏至には太陽が真上に来るのです。


    彼は同じ時期にナイル川の河口付近にあるアレキサンドリアにある井戸の底に太陽は写らないことを発見しました。太陽は真上ではなく、少し斜め上からさしているからです。鉛直に棒を立てて、太陽の陰の角度を測ると円周の50分の1、即ち7.2度でした。これはアスワンとアレキサンドリアの緯度差が7.2度であることを示します。

    当時のギリシャ人は場所によって北極星の見える高さが違うことから、既に地球は丸いという認識はありました。

    アレキサンドリアとアスワンの間の距離は今でいうと約925kmありました。当時は距離の単位はスタディオンという単位が用いられていました、当時のキャラバンがアレキサンドリアとアスワン間の移動に50日かかっていたことから求められました。

    緯度差7.2度は360度の50分の1です。故に地球の周囲は925km × 50 = 46,250kmとエラトステネスは算出しました。現代の40,000kmにかなり近いですね、驚きです。今から約二千百年以上前、日本では弥生時代のことですから。