前回の「韓国の政治入門の入門」では朝鮮半島南西部の全羅道(昔の百済)では左派支持者が多く、南東部の慶尚道(昔の新羅)には右派支持者が多いことが分かりました。
今回は1.全羅道と慶尚道で何故対立があるのか、2.何故全羅道で左派支持者が多く、慶尚道で右派支持者が多いのかを調べたいと思います。
1.全羅道と慶尚道で何故対立があるのか
朝鮮半島南西部の全羅道は昔朝鮮三国時代の頃は「百済」と呼ばれる国でした。
一方の慶尚道はその頃「新羅」と呼ばれる国でした。
660年頃、新羅は中国の唐の協力を得て、百済を滅亡させてしまいました。
戦勝国「新羅」と敗戦国「百済」の構図が出来上がり、その地域対立関係が現在も引き続いています。
戦勝国側の慶尚道(昔の新羅)の民には優越感や支配感があり、敗戦国側の全羅道(昔の百済)民には劣等感や反体制感のようなものがあるようです。
2.何故全羅道で左派支持者が多く、慶尚道で右派支持者が多いのか
1950~1953年に勃発した朝鮮戦争で朝鮮半島全体が壊滅的に破壊され、経済も疲弊し、国民の多くは貧乏な生活となってしまいました。
1961年に慶尚道出身の軍人、朴正熙による軍事クーデターが成功し、それ以降1979年まで朴正熙を大統領として軍事政権が運営されました。
その間、民主化の弾圧という大きな問題はありましたが、経済面では韓国経済の驚異的復興という大きな成果を上げました、しかしそれは慶尚道を中心とした復興であり、全羅道では恩恵は少ないものでした。
それ故、慶尚道では右派がもてはやされ、逆に全羅道では左派がもてはやされる結果となりました。
以上です。