文化露寇(1806~1807)


1806年(文化3年)日清戦争の前々夜、ペリー来航の50年程前の話しです。

江戸時代の長い平和が続き、文化、商業が花開いていた頃、樺太、択捉にある幕府の拠点が突如通商条約を求めるロシア軍艦に襲撃略奪され、幕府は殆ど抵抗出来ませんでした。

ロシアをはじめ西洋諸国はその頃づっと対外戦争を続け、武器は近代化され、一方の幕府の武器は戦国時代のまま、200年間進歩ありませんでした。更に西洋に関する研究も殆どされておらず、正に絵に描いたような井の中の蛙でした。しかもこれでも江戸幕府という軍事国家でした。

ロシアが通商条約を要求した目的は、当時ロシアでは毛皮採取のためのラッコ漁が盛んでアリューシャン列島、アラスカで盛んに漁を行っていました。

しかしこの辺りでは食料入手が困難なため、日本から食料調達の目的で通商条約締結を望んでいました。

その約50年後に米国と平和裏に日米和親条約締結、明治維新を迎え、今迄とは打って変わって軍事強化策となったのはご存知の通りです。極端から極端への素早い方針転換ですね。第二次世界大戦前後の変化と丁度真逆の方針転換ですね。

もしかしたら、日本国民は極端から極端への変化が癖なのかもですね。


“文化露寇(1806~1807)” への3件のフィードバック

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